第41次南極地域観測隊を乗せた観測船「しらせ」は、昭和基地を目前に最後の砕氷航海に入った。東京を出港し、フィリピン沖、ロンボック海峡、オーストラリア西岸を経て、ひたすら南下し続けた航海も間もなく終了だ。
艦橋は、船が海氷を砕きながら進む様子を一目見ようという隊員でいっぱいだった。船の前進、後進の繰り返しで、閉ざされていた海氷は亀裂が入り、緑色や深い青色の海水が泡立った。押し割られた1mを越える厚い氷は、海底に吸い込まれたかと思うと、かなたでぐわんと浮かび上がった。
「しらせ」は、海上自衛隊170人あまりが運行していた。観測隊の3倍近いスタッフで、安全な航海を保障してくれた。砕氷航海の舵輪を操作していたのは力岡自衛官だった。手先が器用な彼は、乗組員で自主営業している散髪屋「タイガーカットハウス」の理容師としても名を馳せていた。虎刈りにされてしまいそうな名前の店だが、彼は「カッパカット」と「大五朗カット」を得意とし、普通の髪型も本職顔負けの腕前だ。本人いわく、「カリスマ美容師」。
私が思うに舵輪の操作はハサミを扱うより数段うまい。上官の指示で、前進、面舵いっぱい、動力止、惰性を巧みに操り、厚い氷に船首から突っ込む。次に全速後進、取り舵、前進。この過程を3分間ぐらいずつで繰り返していく。衝撃はほとんど感じないが、船首を右左と振りながら2、3回やると、船は5mばかり前進した。気の遠くなるような地道な作業だ。昭和基地までの残り約60km。氷が薄いところは全力前進で強引に押し割り、厚いところは、このような前後進を根気よく割って進んだ。
こうして丸1日かけて、氷を割り、1999年12月20日、待ちに待った上陸を迎えた。
上陸といっても、船は昭和基地のあるオングル島から数十キロ沖合にとどまり、搭載しているヘリコプターで乗り込む。隊員は何便かに分かれて乗ることになった。当然のことながら重量制限がある。隊員が持っていける荷物は自分の体重を含め、1人あたり100キロ。船上では、隊員が荷物を持っては体重計に乗り「あれ、重量オーバーだ」「おっ、まだいける。あの酒を持って行こう」と一喜一憂した。
そんな中、巨漢の瀬尾隊員の顔色がさえない。「今測ったら、裸でも101キロあるんですわ、どうしましょう…」。思わず、みんなで吹き出してしまったが、このままでは服も着れないので、同じ便に乗る隊員が荷物を減らし、瀬尾隊員の荷物を持つことになった。
エンジン音がひときわ高くなり、ヘリコプターは浮かび上がった。眼下に白い世界が広がり、巨大な氷山も小さなテーブルに。アザラシは黒いかりんとう。昭和基地はすぐだった。地を踏む瞬間は、しばし感無量の気分に浸るはずだったが、いざ着陸すると、せき立てられ、機内から転がり落ちるように降りた。ヘリコプターは物資や人間を運ぶのに忙しいのだ。私たちが降りると、爆音とともに飛び去っていった。
オングル島は素晴らしい晴天だった。残雪の輝きがまばゆい。「昭和基地にようこそ」。私たちを出迎えてくれた一団がいた。 オイルまみれのヤッケに身を包み、顔はコーヒー豆の色。サングラスもテープをつぎはぎして補修している。正直、その風ぼうに引いてしまった。
しかし、彼らこそ一年間を南極で過ごした第40次の越冬隊だった。「今日は暖かくてよかったね」と彼ら。私には十分過ぎるくらい寒いのだが…。一年後には私もこんなにたくましくなるのだろうか。(次回に続く)