1999年12月20日。無事、昭和基地に到着した私たち41次南極地域観測隊は真っ先に宿舎に入った。そこは「第一夏宿」と呼ばれる朱色の二階建ての建物で、四十次隊と任務交代する2000年2月1日までの仮宿だった。
入り口の看板は、なぜかしゃれた名前の「レークサイドホテル」になっていて、「歓迎第四一次南極地域観測隊、砕氷艦しらせ乗務員ご一行様」とある。居室は三畳ほどの部屋に二段ベッドが二組。寝台列車よりやや手狭な感じだが暖房が良く効いていた。山小屋のような宿舎を想像していたので、正直、安手のスキー旅館程度の快適さにホッとした。
池のほとりで一休みしている4羽のペンギンたち(黒っぽい物体)。
疲れた心を癒してくれるのはいつでも愛らしい動物たちの姿でした。
早速午後六時から、40次隊が歓迎のバーベキュー会を開いてくれることになった。会場は「一九(いちきゅう)広場」という場所で、二十年以上前、十九次隊が作った広場らしい。
「第一夏宿」から小さな峠を越えた基地の中心部にあるということで、トラックの荷台に乗り込んで向かった。この移動で昭和基地のだいたいの外観を知ることができた。一mを越える残雪の中に、幅広い列車のような箱型の建物が散在し、雑然とした印象を持った。
峠を超えてすぐに銀色の建物が現れた。これが昭和基地の生活の中心となる管理棟であることは後で知った。一九広場は、そのそばだった。広場といっても、十m四方ほどの未舗装の待避所。噴水や遊具がある公園のような場所を想像していただけに少々、気が抜けた。しかし、造るとなると、厚い残雪を除け、荒い大地をならし、相当な労力を要したに違いない。
吹きっさらしの中でバーベキュー会は始まった。50人を超える大宴会となり、最初は遠慮がちに脇の方で箸を出していたが、酒が入ったのと、寒いのもあって、次第に40次隊員を押しのけるように、コンロの近くに陣取った。
午後八時。腹もふくれてきて、ふと天を仰いだが、夏の南極はまだまだ明るかった。南からの冷たい海風に乗って、大きな鳥が優雅に舞い始めた。トウゾクカモメというらしい。ゆったりとした時の流れに飲み込まれそうになった。
が、それもつかの間、上空のトウゾクカモメがするどく切り返して、コンロ脇の焼き鳥の串をかっさらっていった。突然の出来事に41次隊の面々はあっけに取られてしまった。
トウゾクカモメはその名の通り、盗賊のごとき素早さと人をも恐れぬ不敵さを持っていた。目に着く物があると食べ物でなくてもかっさらっていく。大型で翼を広げると1.5mほどだろうか。鷲に似たどう猛な風ぼうをしていた。この「事件」以来、41次隊では、物がなくなることを「トウガモされる」といっている。
ただ、野外で食べ物を広げていると、後ろから、とことこと歩いて近寄ってくることもあり、愛きょうがある鳥だった。
バーベキュー会が終わると、41次隊の多くは第一夏宿に帰ったが、何人かは40次隊員に誘れて、管理棟にある「バー」に出かけた。もちろん私もその一人だった。「バー」には、板で作られたカウンターがあり、向かいには東西の銘酒とおぼしき酒が並んでいた。部屋の反対側にはビリヤード台まである。
40次隊員の一人が「南極の氷入りのウイスキー」を出してくれた。細かな気泡の入った氷が「ぴちぴち」と音を出して溶けていった。「この日のために、40次隊の方が良質の氷を求めて、遠くの氷河まで取りに行ってくれたようだ」と仲間がいう。
感謝しつつ、何万年も前に封じ込められたであろう氷の中の泡が弾ける音に聴き入 った。そして溶け出した万年の時を、ぐいっと飲み干した。