初めての南極大陸
南極大陸初上陸
観測や基地整備の日々が続いているが,四月には大型野外行動が行われた.
目的地は大陸上にある内陸旅行の出発拠点「S16」で,ここに十名以上で泊まり込み作業を行う.私も参加することになり,南極大陸初上陸と基地外宿泊に胸が踊った.
地図で見るとS16は昭和基地の東15キロほどのところにある.しかし南極大陸は鏡餅形の巨大な一枚氷で,海際は氷が割れ落ち50メートルほどの切り立った断崖になっている.そのためどこからでも上陸できるわけではない.幸い昭和基地の北東には比較的なだらかな「とっつき岬」と呼ばれる上陸地点がある.昭和基地,とっつき岬,S16を結ぶと,いびつな正三角形ができる.
早朝小型雪上車に分乗して基地を出発,とっつき岬で昼食となった.車外に出ると,秒速10mを超える風が吹き荒れていた.気温は-10度近い.まじかに見る大陸氷は山のように立ちはだかり,雪や氷の粒が風に乗って滝のように斜面を流れ落ちてくる.雪と氷でできた「ナイアガラの滝」といった風情がある.それを雲の隙間からこぼれる陽光が照らし出す.強風も寒さも忘れて見とれた.「ああ,初めて南極大陸に立ったんだ」という喜びが胸に込み上げてきた.
奥の坂になっている部分が南極大陸.すごい勢いで氷の粉が流れ落ちていた.
待っていたのはオーロラ
早朝小型雪上車に分乗して昭和基地を出発,午後遅くS16に到着した.大型雪上車,小型ソリが無数にあったがいずれも半ば雪に埋もれている.すぐ雪上車の除雪と立ち上げ作業をしてキャンプ体制をしく.大型雪上車SM107号が食堂車兼憩いの場となった.
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今回の遠征隊には調理の山内隊員も参加した.食事の準備や片付け時以外は,組立整備作業にも従事する.手の休まる間も無いが,ロッククライミングを愛する屋外派の彼は,誰よりもこの遠征を楽しみにしていた.その気持ちがこもった料理は作業で疲れた我々を大いに楽しませてくれた.
夕食後に昭和基地と無線連絡をとった後は,酒を飲みながら雑談をするしかすることはない.わいわいやっていると,突然誰かが「オーロラが出ている」と言う.慌てて服を着込み,ブーツを履いて,わらわらと外に出た.
頭上から降り注ぐようなオーロラ
歓声が上がる.「すげえ,すげえ」と連呼するだけのものがいる.その間にも形を変え,色が変わる.「これは珍しい形ですよ」と越冬経験がある下田隊員.我々の上陸が歓迎されているようで嬉しい.明日の作業も頑張るぞ,と心に誓っているうちに,厚い雲に被われていった.あとでオーロラ研究のために越冬している佐藤隊員に聞いたところ「オーロラブレイクアップ現象が起きた時の非常に明るいオーロラだった」ことが分かった.(これは後日加筆)
暴風下での作業−芝治也 危機一髪−
風速15mで地吹雪の中,小屋の土台となる大型ソリの掘出し作業が始まった.
「これがソリです」棟梁の本多隊員が指差す先には,パイプ組みの柵しか見えない.疑問に思いながらも5,6人で掘り始めた.額に汗がにじみ始めたころ,立てたドラム缶が出てきた.それを見て本多棟梁は「ソリには雪よけに空ドラムが乗せてまして,ソリの下の端はさらに1.2m下です」と申し訳なさそうに説明する.肩透かしをくらいながらもニ十本ほどのドラム缶を取り除くと,ソリの上面が出てきた.
強風で圧縮されている雪は,けっこう硬い
午後からは埋もれている小型ソリの掘出しと,積荷確認作業となった.雪を払い車体番号と積荷を確認しては,調査結果を手帳に記録して行く.普段なら何の事は無い作業だが,低温,強風,地吹雪の中では,厚い手袋越しに鉛筆を握る手もぎこちない.
腰ほどの高さを雪の粒が流れ去っていき,まるで巨人になって雲の上を飛んでいるようだった.風上である大陸中心方向を見ると氷の地平線がかすかに見える.
5mくらいの間隔で並んでいるソリを二十台ほど数えたところで,急に地吹雪の高さが背丈を越え視界が悪くなった.どこを見ても真っ白.浮遊感がして,自分が地面に立っているのか横たわっているのかすら分からなくなった.「やばい.ホワイトアウトだ」と思ってみてもあとの祭.自分の3m後ろには,さっき確認したばかりのソリがあるはずだと分かっていても,やはりあせる気持ちが出てくる.それを押さえつけて風に背を向けた.ポケットにはチョコレートもあるし,羽毛服を着ている,位置を知らせるための笛も持ってきた,ここで作業をしていることを知っている隊員が複数いる,慌てて動く方が危険だ,じっとしていろと自分に言い聞かせた.
そのうちに地吹雪はまた低くなり,周囲が見えるようになった.2,3分間のことだったが,さすがに肝が冷えた.常に最悪の事を考えて準備しておくことの重要性を痛感した
内陸旅行小屋組立完了
翌日は風もややおさまり,昨日掘出した大型ソリの上に小屋を建てることになった.小屋は畳より一回り大きいパネル状の部品に切り分けられている.これを順番に並べて合わせ目に充填剤を入れたあと,金具を工具で半回転させると簡単に組みあがっていく.「うわ,充填剤が服に付いた」「もうちょいこっちへ寄せて」みんな子供に戻ったように,にぎやかに楽しく作業は進む.昼前には第二陣として増援三名と,越冬隊長他二名の現地偵察隊が到着して,現場はさらに活気にあふれた.
この遠征の最大の十八名となり,昼食時にはさすがの大型雪上車もぎゅうぎゅう詰となったが最高に楽しい食事だった.午後には小屋が組みあがった.緑色の箱型で前室,リビング兼台所,四人が眠れる寝室と豪華な作りである.
日本から持ってきたプレハブ部品を開梱しては組み立てる.
昼食メニューはカレー.狭いのが楽しかった
その夜もやはり夕食兼酒盛りとなる.最大の目的の一つである小屋の組立てが終了したこともありみんな表情が明るい.場が盛り上がってきたところで,またオーロラが出た.
今回は絹の帯のようにたなびくカーテン状のオーロラだ.
みんな何度も見ているはずなのに「うわー」「おお」と言うだけで言葉にならない.頭上一杯に広がる姿をすべて見ようと視線を巡らせて,元に返ってくるともう形が変わり,一ヶ所に注目していると別のところが明るく輝き始める.自分の鼓動と息遣いだけが耳に響く.まばたきをするのすら忘れて見入った.今度はオーロラが小屋の完成を祝ってくれたとなり,楽しく一日が終わった.
カーテン状にたなびくオーロラ.これは昭和基地で撮影されたもの
ソリ小屋発進
遠征も三日目いよいよ大型ソリの足元を掘り起こす作業に取り掛かった.日常的に行う雪かきに慣れたとはいえ,硬く締った雪を1m以上掘り進むのは重労働である.しかし「大きな塊が掘れた」と競い合うように作業をすると楽しくなってくる.辛い作業も万事この調子でこなして行く.良い仲間達に囲まれていることを実感する瞬間だ.
足元が見えたところで,ブルドーザの出番となった.これはS16に目張りをして保管されていたもので,機械の堀辺隊員が整備して動くようにしたものである.
運転者は,日本では大学の事務職員の富樫隊員.彼は四十一次隊のムードメーカーの一人で人をその気にさせるのが上手いが,クレーン車や重機の扱いも上手い.人力で半日かかったところが10分間ほどで掘り削られていく.ソリの近くは人の手で掘る.
巨大な落とし穴に落ちた四足獣という感じでソリの全体が現れた.あとは大型雪上車で引っ張り出す.雪上車のエンジンが吼え,履帯が雪を掻き上げるが一発では出ない.少し下がって勢いをつけてからやってみる.ワイヤーがぴんと張って,雪が舞い上がる.駄目か,そう思ったときに動いた.
ゆっくり体をゆすりながら地上に這い上がって来た.歓声が上がる.
地上に現れたソリ小屋は,高くて大きかった.これが白い大陸上を旅するのかと思うと頼もしくて,楽しくて顔が緩んでくる.ソリ小屋は,後日電気配線などが行われて内陸への長期旅行に使用される.私もいつか入居することになる.その日が待ち遠しい.
完成して掘り出されたソリ小屋.入り口にはあとで階段をつける
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