雪上車の旅

中継点旅行

南極の暗い冬が終わった八月下旬、私は仲間六人とともに昭和基地から内陸まで燃料用のドラム缶数十本を輸送する「中継拠点旅行」に出かけた。往復1,300km、約四十日の旅だ。

七人は三台の雪上車に乗り込み、出発した。燃料はそりに乗せ、雪上車が引いて進んだ。なぜ燃料を運ぶ必要があるかというと、内陸行動をするためには暖房や車両用燃料が欠かせないが、雪上車で一度に持ち運びできる燃料には限りがある。 そこであらかじめ数ヶ所に燃料を運んでおいて臨時のガソリンスタンドを作っておく必要があるからだ。今回の燃料は42次隊の内陸観測で使用される予定だ。


とっつき岬で荷物を積み込む面々。かたわらでは車両の整備も行なわれている。

途中にある「みずほ基地」には観測機材も運ぶことになっていた。「みずほ基地」は普段は無人で、必要に応じて人と機材を送りこみ観測を行っている。このあとで四名の隊員が約三ヶ月間泊まりこむ計画だ。

移動中は2kmごとに設置してある雪尺の高さを測り、積雪量を調べる。これは南極大陸全体の水分移動や氷の増減を知る上で重要なデータになる。南極大陸の玄関「とっつき岬」から十二km地点までは一気に500m登る急勾配。その後の「みずほ基地」までの260kmは緩やかに登りながら、標高2,250mにもなる。

内陸の風景

内陸部には氷の割れ目を避けて作られたルートがあるため、その目印である旗竿やドラム缶を探しながら進んだ。晴れた日は楽だが、視界が悪いとこのルートの判別が困難になり、安全を考えるとなかなか進めない。レーダーやGPSを駆使するが、一日で二、三十kmしか進めない日もあった。さらに吹雪で何日も足止めをくうことすらあった。


目印には、旗ざおや空になったドラム缶を設置する。
時には強風で飛ばされていたり、雪に埋もれてしまうこともある。

標高が上がるにつれ、気温は下がり、空気も薄くなる。雪上車への燃料補給は手回し式のポンプだったが、標高が高いところでは、この燃料補給だけで息が切れた。 南極大陸の中心部はおおむね晴れるが、みずほ基地付近は強風により吹雪となることが多い。秒速十mを超える風で雪が舞い、五十m先のドラム缶すら見えないことがある。

また雪が削られ、「サスツルギ」という複雑なでこぼこ地形ができた。これは見た目はなかなか美しいのだが、場所によっては一m以上の高さとなり、行く手を阻んだ。雪上車が引くそりは「ガタン、ゴトン」と音を響かせた。


一日の終わりには必ず給油。毎日ドラム缶一本(約200リットル)が消費されていく。


サスツルギをつぶしながら走る大型雪上車SM100


いたるところにあるサスツルギ。風が削った造形美。大人がすっぽり入ることができる。

くぼみには軟らかい雪が吹き溜まりのように積もっていることがある。これが恐ろしい。勢いをつけ一気に進まないと、アリ地獄のようにとらわれてしまうからだ。五mの距離を抜け出すのに三十分も費やした。

晴れると地平線上に蜃気楼が現れた。雪の地平線の一部が鯉のぼりのようにダイナミックに空にたなびいたり、大きな山が見えた。「あんな所を登るんですか!」といっている間に中腹からちぎれて青空に消えていった。太陽がろうそくのように長く伸びて見える「太陽柱」にも驚いた。夜にはオーロラが舞う。やはり南極の空は大きい。


太陽が伸びて光が天空に上っているように見える太陽柱(サンピラー)も蜃気楼の一種。

純粋な寒さ

体験した最低気温は零下五十九度。昼間はエンジンヒーターで暖かい車内も、夜寝る前には止めるので、朝には零下三十度近くまで下がる。お茶、ジュースも凍り、寝袋の回りは霜が付いた。外で小便をすると、泡立った形のまま氷になる。内陸部の長い年月で圧縮された雪のかけらは軽いが硬くしまっていて「カラン、カラン」と乾いた美しい音を立てて転がっていく。お湯を天に投げると「シュワー」という激しい音を立てて霧になり、大部分が地面に落ちずに消えていった。ここまで寒いと怖さより、何がおきるのかという興味のほうが先に立つ。

みずほ基地より内陸部では気圧が700hPa程度になり昭和基地の七割程度しかない。つまり空気が薄い、息苦しくて夜中に自分の深呼吸で目が覚めることがあった。「とんでもないところだ」と思うと同時に、自分たちをここまで運び守っている雪上車や羽毛服を作り上げた技術力に感謝するとともに、未知のものを知りたいという人間の探求心には感心してしまう。


羽毛服を着て作業した直後の筆者。息や身体から出る水蒸気が霜になってつく。

中継拠点で誕生会

南緯七四度、標高3,350mの目的地「中継拠点」に到着したのは九月九日。四十一次隊では最も内陸まで来たことになる。くしくもこの日は旅行隊リーダー西村隊員の誕生日。食事はレーションと呼ぶ自家製のレトルト食で済ますことが多かったが、この日ばかりは昭和基地の調理隊員が密かに持たせてくれたバースデーケーキや、とっておきの酒、食材が並び、誕生日と旅の折り返しを祝った。息苦しさや寒さ、三週間近く入浴していない不快さもどこかに消えて、笑い声だけが響いた。


出発してから約20日、660kmを走破して、やっと目的地に到着した。


マイナス50℃でバーベキュー。ビールはすぐに凍りつくため、火にかけながら飲むのが南極流。
白く見えるのは煙ではなく炭から出た水蒸気が霧になったもの。


西村隊員は北海道大学の先生。雪の研究のために来ている。


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