42次隊がやってきた

42次隊と生鮮食料到着

12月下旬、砕氷船「しらせ」のヘリコプターに乗って42次南極観測隊が昭和基地にやって来た。真新しい装備に身を包み、緊張した顔に塗った日焼け止めがやけに目立つ。出迎えの我ら41次隊は「自分達も一年前はこうだったんだよな」と真っ黒に日焼けした顔を見比べて笑う。(第二話参照)

見覚えのある顔が降りてきた。41次夏隊員であり42次隊員でもある窪田隊員と柳沢隊員だ。「おお、本当に来たんだ」、「うおお久しぶり」手袋を脱いでがっちりと握手し抱き合う、まるで家族が久しぶりに帰ってきたような喜びよう。


海氷上に旗を立てて、「しらせ」を出迎える41次出迎え隊。
日差しが強いし、氷からの照り返しが強いからTシャツ姿でも寒くない。


42次隊の窪田隊員(赤いヘルメット)は、41次夏隊として一緒に昭和基地入りした仲間。
11ヶ月ぶりの再会に笑顔がこぼれる。

至福の生卵

それに前後して生鮮食料品が持ちこまれた。人気が高かったのは、生卵に肉と牛乳。なかでも生卵は特別で、一個の卵で卵かけご飯を三杯も食べるもの、調理隊員にねだって追加で出してもらうもの、朝食の半熟目玉焼き食べたさに早起きするものが続出した。アツアツご飯に目玉焼きを乗せて醤油をひとたらし、これがなんとも美味い。まさに越冬の味だ。

基地の年越しは大晦日も返上

二十世紀の終わりと、新世紀の到来を盛大に祝おうと各種催しを企画していたが、観測船「しらせ」が12月30日に昭和基地沖に到着したため大晦日から氷上物資輸送の徹夜作業となった。それによりほとんどの催しはおろか新年行事も先送りとなった。隊員を観測などの日勤者、輸送作業の夜勤者に二分しての作業だ。

年末年始をゆっくりと祝えない事や、日勤、夜勤に分かれてしまい、みんなで新年の酒を酌み交わす事も出来ないことなど不満が無いわけではなかった。しかしやらねばならないことだという使命感、一年間頑張ってきたのに、ここで不平不満を言って自分達の越冬を汚したくないという思いが全員の士気を高めた。

12月31日夜から始まった物資輸送は1月1日早朝まで続いた。南極ではいまが真夏、太陽は夜中に夕方程度にかげることはあっても沈まない。いくら作業をしても時間が進まないような錯覚に陥り(おちいり)疲労がたまる。零下の気温の中眠気もこらえがたい。


海氷がしまる「夜」の時間に荷物の搬入が続く。これでも深夜の12時を回っている。

そんな時「作業ご苦労様でーす。年越し屋台開店です」という全館放送が流れた。調理の山内隊員が腕を振るったラーメンが、建築の本多隊員他有志で準備した屋台の上で湯気を立てていた。好みの具をたっぷりとのせる、大きな音を立ててすする、お代わりをする、屋台の周囲には人が集まり笑いがあふれた。一年分の疲れがどこかに飛んで行くような気持ちだ。


まっさきに「おかわり」したのは41次隊一の大食い山下隊員だった。(第6話参照)

除夜のつぼ登場

屋台のそばのテーブル上には「除夜のつぼ」なる張り紙があり、その前には棒と大きい手まり程の陶器の器があった。これは除夜の鐘代わりにつくために、知人が焼いた花器を私が持ちこんだものだった。「なんだよ、こりゃー」と笑いながら、みんなラーメンをすすっては棒で叩く。「コーン」とやや鈍いながらも「つぼ」が鳴る。放送を聴いてやって来た42次隊員も叩いて手を合わせてくれた。

徹夜作業で脂ぎった顔、湯気で上気した顔、42次隊を加えて増えた仲間達みんなの笑顔を見ながら「こんな年の瀬があってもいいよな」と思った。


除夜の鐘ならぬ「除夜のつぼ」をたたく加藤隊員。


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